7日目の朝。ずっと雨続きだった旅、初めて天気のいい朝を迎えた。この日に向かうのは宮城県の沿岸部、4年半ぶりの三陸だ。大好きな三陸に行くことができる楽しさと、恐怖…
陸羽東線の車窓は、朝日を浴びてキラキラと輝いていた。
終点の小牛田駅で乗り換え。ここからは東北本線で一ノ関へ。この旅2度目の岩手県へ向かう。
小牛田駅で「風っこ」に遭遇。後に上越線でお世話になることになる車両。
列車は真っ直ぐな線路をスピードを上げて走っていく。
一ノ関駅に到着。ここで大船渡線に乗り換え。
2両編成の列車には、すでにたくさんのお客さんが乗車していた。
ドラゴンレール大船渡線、乗車するのは4年半ぶり2回目。前回は夜で外の景色が見えなかったので、今回乗ることを楽しみにしていた。
列車は一ノ関から東へと向かっていく。目指すは海沿いの街、気仙沼。
昨日までの雨で水量は多いものの、美しい川の景色が広がる。
景色を見ていてホッとするような山里の風景。
列車は終点の気仙沼駅に到着した。ついに4年半ぶりに三陸の地に降り立った。
駅舎の外に出ると、屋根がついて駅がちょっと綺麗になっていた。
↑4年半前に撮影した写真を見つけた。
2013年夏。気仙沼駅前は4年半前とほとんど変わらない風景。しかし、気仙沼駅から南北に伸びていた線路は、2011年3月11日の地震と津波の影響で寸断された。
4年半ぶりに気仙沼の市場へ行ってみることにした。高台に位置している気仙沼駅周辺は津波による被害はほとんどなかったものの、沿岸部は津波と火災で壊滅的な被害を受けた。
バスは海沿いへと向かっていく。
衝撃的な風景の連続。バスは、鹿折地区の復幸マルシェ前に到着した。
復幸マルシェは、津波で被害を受けた店舗が集まった復興商店街。飲食店や物産店、日常生活に必要な店舗が集まっています。
店舗看板だったのだろうか。
街に居座る大きな船。第十八共徳丸はがれきが取り除かれた街に存在し続けたが、現在は解体されもうその姿はない。
共徳丸で塞がれた道の裏にはJR大船渡線の鹿折唐桑駅。
鹿折地区では現在居住地のかさ上げが計画されている。夏に訪れた際にはまだまだ作業は進んでいなかった。
復幸マルシェのお店の方と少しお話が出来た。震災から2年以上が経ったが、街はまだこのような状況。いつまでこの状況が続くのか不安に感じられていた。東北の中、気仙沼の中でも津波被害にあったところとそうでないところとの格差も生まれてきている。津波被害を受けなかった地域は、既に震災前の生活を取り戻している。
ここから再びバスに乗車。今度は気仙沼の港に向かう。
バスは再び海沿いへ。4年半前に見た港の風景が見えてきた。船の数が減ってしまったかな。
魚市場前で下車。正直、動揺した。
見たことのある風景が……ちがう
4年半前。ここでお土産を買った。
この建物と魚市場の建物だけが当時を思い出す道しるべ。
4年半前、降りたバス停。
同じ場所だと気づくのにかなり時間がかかった。
海沿いを歩いて、復興屋台村へ。ここでお昼ご飯をいただいた。やっぱり三陸の魚は美味しい!
いろいろな店があり、どこに入ろうか迷った。
気仙沼駅に戻って、ここからはBRT気仙沼線。
震災区間の仮復旧として位置づけられているBRTバス高速輸送システム。駅ではバスの現在地が表示される。
気仙沼駅から本吉行きのバスに乗車。最長片道切符の旅の再開。
ここから、気仙沼線の線路用地を利用した専用軌道区間。
途中の待避所でバスの離合を行う。
バスは、鉄道用のトンネルに入る。不思議な体験
終点の本吉に到着。ここで乗り換え。
本吉駅近くには、BRTの車両が置かれている。
ここから、列車乗り継ぎができる柳津行きのバスに乗車。
被害を受けた気仙沼線。
バスは、志津川の街に入る。ここも津波で大きな被害を受けた街。
バスは終点柳津に到着。BRTは専用道を通る区間があるため、時間に正確だ。
柳津に1両の列車がやってきた。ここから列車の旅。
前谷地駅で石巻線の列車に乗り換え。日が傾いてきた。
窓を開けると、風が心地よい夕暮れ
石巻駅に到着。東北を駆け抜けた1日が終わった。